ごあいさつ

私が介護の世界に関わるようになったのは、2004年7月のこと。
大阪から仙台に引っ越すことが決まった時、たまたま知り合った人に、「介護はいいわよ。
人のお世話をして喜んでもらえる」と、いうお話を聞いたのがきっかけでした。
 もともとが、おじいちゃん子でおじいちゃんに可愛がってもらった小学校に入るまでの遠い記憶が私の幼いころの一番の思い出。そんなこともあって、“おじいちゃん”という言葉には思い入れがあって、そして、人に喜んでもらえる…という言葉が大きく心に響いて、人のために何かができる・・・という思いで、引っ越しをする前からこの世界に飛び込もうと決めていました。
 最初に、勤務したのは自宅近くのグループホーム。ここが私の認知症ケアの原点です。
いろいろな人がいて、いろいろな対応があって、いろいろな反応がある。困難なこともあったけど、いかに毎日を楽しく過ごしてもらうか。何があっても笑いで吹き飛ばすような勢いがありました。一番の思い出は、背中に大きな荷物をまとめた風呂敷を背負い、前には市松人形を抱えて靴を持ち、抜き足差し足忍び足で脱走を企てる入居者様がいて毎日が闘いでしたが、それも半ばゲーム感覚でケアにしていたこと。ケアは楽しく・・・が、実現できる現場でした。そのあと、すぐに大阪に戻ってくることになりましたが、転勤扱いで同じ会社の別のホームに。
そこでも、新しい出会いがありました。入居者様の強い希望があって、お昼にカップラーメンを提供することがいいのかどうか。入浴拒否の人が今なら入りたいと言い出した20時過ぎで入れるかどうか・・・等、入居者様の自由に関して、みんなが前を向いて意見して工夫して、一人一人を大事にする心がそこにはあって、私の介護の原点といえます。
当時はグループホームの走りでしたので、なかなか、反対意見も多い時代でした。
そのあとは、自宅近くの介護付き有料老人ホームで勤務。ここでは、100名の入居者様がいて、いろいろな経験ができました。教育体制も整えられ、いろいろな勉強もできました。
出勤時には、必ずレクリエーションをすると自分で決めて、大きな行事のある日も、参加できない人向けにフロアでレクリエーションをしたり、少しの時間でもと、歌を歌ったり、気がつけば、歌のお姉さんと化してフロアも関係なく、希望があればどこででも。
100歳の入居者様に「あんたは私のオカチャン(母)に似てる」(逞しさだそうです)とのことで、「オカチャン」と呼ばれたり、ご退居の家族様から「あなたに出会えてよかった」と言っていただいたり、たくさんの思い出も出来ました。
人からすれば、偽善者だとか、自己満足とかと言われることもありましたが、誰もしようとしないそれを貫くことの源は、その裏にある、入居者様の期待と笑顔があったからです。
その次は、50歳を機に自分を試そうと、サービス付き高齢者向け住宅の管理者を経験しました。ここでは、ケアに入るたびにお金の積算となっていく現実に直面。思っていたよりも月々の負担が大きくなり、やむなく施設退居されるケースもありました。
そして、間もなく、有料老人ホームのケアマネになりました。そこで、入居相談の対応をたくさん経験させていただくこととなりました。当時の施設長の熱い思いもあって、いろいろな場面に一緒に参加させていただきました。老人ホームに紹介会社がお客様を紹介するという場面に出会うのは、着任してから直ぐでした。こんな世界があるのかと、思っていたら、2件目が直ぐにありました。
女性の相談員の方が、他で決まっていた入居が面談後に施設から急にキャンセルされたと、半ば怒り心頭で「全然、問題ない人なのに、急にキャンセルされたんです。認知症ケアが出来るというのに簡単に見れないと言う。一度、見に行ってほしい。」と。入居者様、家族様のことを思って、そのパワフルな訴え。
ひと通りお話を聞いて、最後に雑談した時のこと。「その人に合った施設をご紹介して、喜んでもらえる。私は、こんないい仕事はないと思います。」その堂々と自信に満ちあふれたその人のお話は私の琴線に触れてしまいました。
“その誰かのために・・・いつかやりたい・・・。”
 ケアマネージャーを辞めようかと思うタイミングは何度かありましたが、時を重ねると、それはそれなりの人との出会いもあり、その関係性を捨ててまでとはいかず、ご入居時のお約束が果たせるところまでと、思っていました。
在職中には、入居者様といろいろな話をしました。
もちろん、喜んでいただけることもたくさんありましたが、お悩みや、ご不満も。
・家族にあんまり迷惑かけられんから、ちょっと元気なうちから入居した。
  (施設の生活が退屈で、自由も少なくて・・・寝て過ごすことが多くなった)
・元気な人が少なくて・・・思っていたよりお話できる人が少ない。
   (認知症の人ばかりで、思っていたようにお話が出来なかった)
・お金のことが心配。最期まで入っていられないと思う。
(時間に余裕がなくなり、家族が勝手に急いで決めた。)
・どこがいいのかよくわからなかった。(サポートがなかった?決め手は近所)
・お高い施設だから、美味しいお料理が出ると思っていたのに口に合わない。
・リハビリをもっとしたい。(リハビリは多いほうでしたが、さらにご希望)
・付き添いで入ったけど、元気な私も自由がないんだね。等。
スタッフのことを訴えられることもたくさんありました。
私自身の経験で、看取りを希望しているのに、思う看取りとならなかったということも。
入居したものの思っていた世界とは違っていたとミスマッチを訴えられるケースをたくさん見てきたことで、やっぱり施設選びはとても大事と考えさせられました。
 
そんな中、ここ数年のコロナ禍で状況が一変。今なら辞められる。
そして、退職しました。これからは、自分のやりたいことをやろう。
“そう、誰かのために。入居されるまでの間に関わりたい・・・。”
 
高齢化が進み高齢者施設も年々増加してきている昨今、施設選びがますます難しくなってきております。「こんなはずではなかった」というミスマッチの施設選びにならないよう、今までの経験を活かし、最適な施設選びのお手伝いをしたい。そんな思いで「シニア住宅入居支援センター たんでむ」をスタートさせました。
たんでむとは、二人乗り自転車のことです。
決して置き去りにならないようあなたの思いを聞きながら一緒に走ります。
 
対象の方が、どのような施設を望まれるのか。その優先順位を大切に
たんでむでは、
・面談でご要望、状況をしっかりとお伺いし、ミスマッチのないお住まいをご提案。
・特定の施設の偏ることなく、その方に最善な施設をご紹介。 
・自分らしく生きるための施設選び。
大事にしたいことを継続するための施設を納得いくまで一緒に探します。
 
たんでむ自転車のように、あなたのこれからを一緒に考え、一緒に見学し、
納得いくまでサポートし、お役にたちたいと思っています。
 

センター長・シニア住宅相談員
大下 恵江
                                 

沿革


HISTORY

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あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら

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あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら

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あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら

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